同潤会アパートを知っていますか?

みなさんは同潤会アパートって知っていますか?
同潤会アパート(どうじゅんかいアパート)は、財団法人同潤会が大正時代末期から昭和時代初期にかけて東京・横浜の各地に建設した鉄筋コンクリート造(RC造)集合住宅の総称である。
wikipediaより抜粋
同潤会は関東大震災の復興支援のために設立された団体。鉄筋コンクリート造で作られたアパートは当時の先進技術を駆使して建設されたとのこと。
しかし、中には木造住宅長屋として作られた住宅地もあり、その名残としてつい最近まで残っていたのが品川区中延二丁目の同潤会住宅長屋群だったのです。
同潤会長屋群の写真
では、当時の長屋群の様子はどうだったか、というと、旭化成のホームページに掲載されていました。

白地図で見ても、同潤会の長屋がある辺りは街区も変形していますし、細い路地が密集していることが分かります。
また、こちらの写真を見てみますと建物そのものも老朽化が進んでいることが分かります。それにしても当時の雰囲気がひしひしと伝わってくる街並みですな。

こちらは国土地理院による戦前の品川区中延二丁目の画像です。

この周辺の街区は、らせん状に整備されていたことが分かります。
後に空襲で周囲が焼け野原になった部分は街区が整理されたものの、焼け残った青い旗周辺のエリアだけは昔の街区のまま整備されずに取り残されてしまったのです。これはロマンを感じずにはおれません…。
これは行ってみたい!
ということでさっそく現地へ行ってきました!
旧同潤会住宅地への行き方
旧同潤会住宅地は東急池上線荏原中延駅から徒歩8分ほどのところに位置します。
荏原中延駅を出ると商店街が立ち並んでいますが、一本裏通りに出るとそこは住宅地。
町全体は道路が細く、基本車道は一方通行が多いです。しばらく歩いていくと、大きな建設中のマンションが目に留まります。
現在は新築マンションが建設中

現地に行ってみたところ、すでに当時の趣きはなく、新築マンションが順調に建設されていました、残念(まあ、知ってたんですけど)。
周囲に当時の面影を感じさせるものがあるかも?ということで周囲をぐるりと一周してみましたが特になし。

唯一「同潤会」という名称を見つけたのがこちらの掲示板でした。
このエリアの再開発に当たっては2007年から地元懇談会が開催され、除去工事まで10年かかりました。
この手の再開発事業は利害関係者も多いことや居住者の高齢化、資金の持ち出しの多寡など、なかなか進まないのが当たり前。
それでも、建物も老朽化が進み、住宅地は密集、道路も狭くて個別の建て替えも難しい状況にあったことなど、地元も含めて多くの関係者が共通認識をもっていたと想像できます。
今では何も掲示されていませんが、再開発を行うにあたっては、地権者や住人などの関係者とデベロッパーが中心となって、多くの時間を費やしてきた成果が刻まれてきたことでしょう。
こちらは中延小学校から見たところ。こちら側がこのマンションの入り口となる模様で、遊歩道や集会室などが設けられるとのこと。

完成後は同潤会当時のモニュメントも

完成後の見取り図はこちら。
こちらの図によりますと、「同潤会の系譜を表現」という記載もあります。
景観コンセプトは「旧同潤会地区の人の賑わいや路地空間の記憶継承」とのこと。マンション完成後は当時の記憶が蘇るような街並みが残されることでしょう。
最後に

ということで、品川区中延にある同潤会住宅地跡地についてまとめてみました。
当時の様子を伺い知ることもできず、また、マンション建設中のため、無機質な壁を立ちはだかるだけのエリアになってしまっていました。
マンション完成後にどのような空間になっているのか、その時にまた改めて訪れたいと思っています。
アトラス品川中延は2019年3月に竣工予定です。