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子育て

大津園児死亡事故と世間のマスコミ批判に私が感じたこと

大津保育園児2名が死亡する事故が発生

5月8日、大津のレイモンド淡海保育園でお散歩中に自動車事故に巻き込まれ、園児2名が死亡した事件はすでにご存じの方は多いと思う。

この事件は、保育園に通園する子を抱える私としても、とても悲しい事件だったと言える。

注目すべきはこの報道以降にマスコミに対する批判が収まらない点。正直、ワタシも保育園を加害者のように扱う報道の姿勢については腹立たしい限りだ。

でも、このようにTwitterなどでむやみに声をあげたところで何も変わるわけがない。そこで、単なる批判で終わることなく、こうしたマスコミ被害が起こらない世の中にするにはどうしたらいいのかについて考えてみることにした。

マスコミに批判の矛先が向かった理由

ワタシがこのことを書くきっかけになったのは、東洋経済オンラインの「大津事故で見えたマスコミのミスと人々の悪意」という記事だ。

詳細は上記記事を参照いただくとして、ポイントはなぜ大衆はマスコミ批判に走るのか、ということをこのように分析している点だ。

今回の事故は未来のある子どもたちが被害者だったことで、「誰かを悪にしなければ気がすまない」というムードが充満していました。…中略…マスコミは新聞社やテレビ局などの「巨大組織」であり、巨悪とみなすには格好の存在。こうして「マスコミを叩け」という人々の悪意が増幅していきました。人々は「悪意のある質問をするマスコミは悪だ」と決めつけた。

東洋経済オンライン「大津事故で見えたマスコミのミスと人々の悪意」から引用

しかし、本当にそうなのか。私個人の意見としては、マスコミに批判の矛先が向いた理由はつぎのような理由に基づくと思っている。

すなわち、(1)記者の質問のレベルがあまりに稚拙だったこと、(2)公正公平な報道ではなく、保育園側に厳しい責任追及を行うような記者会見だったこと、(3)そして、歯止めの利かない悪しき報道姿勢に対してストップをかけるべきだと正義感に燃えたネットユーザが多かったことだ。

(1)に関しては、言うまでもないであろう。事実関係の取材というよりも、感情に訴えるようなお涙ちょうだいを期待する記者の質問ばかり。マスコミらは園長が泣き崩れる絵を期待しての質問攻勢だったのだろう。このことが視聴者に行き過ぎ感を与えたのは否めない。

また、(2)については、被害者である保育園への取材が過熱しすぎたことに加え、少し前に起こった池袋駅前の交通事故の報道と比較して多くの疑問を持った視聴者も多かった点だ。事故を起こした元官僚との取材と比べると、なぜ対応に不備がなかった保育園ばかり責任追及の手を緩めないのか、元官僚などの権力者の場合は報道せずにマスコミも黙ってしまうのか、と言った疑問ばかりが残った。

マスコミも営利企業であるから、ニュースバリューがある事故や事件を取り上げて、注目を浴びやすいニュースを流すのは当然の行為である。そう分かっていても、この二つの交通事故の間にこんなに取り扱いの差が大きく、その基準のあいまいさに視聴者も辟易したのではないかと想像するに難くない。

(3)については、今回の報道に限ったことではないが、どうも記者には、国民の声を代弁している、国民が聞きたいことを取材している、という奢りがあるように思える。

人の命までエンターテイメント化してしまうマスコミ、これに対してノーを突き付ける必要性を感じたネットユーザーが多かった、ということだろう。

このような報道は決して今に始まったことではない。この積もり積もった不満が、今回の大津交通事故の報道をきっかけに爆発したのではないか、と考える。

テレビと私の最近

私はテレビは大好きであるが、ほとんど見ないものがある。ひとつはテレビドラマ、もうひとつはワイドショー、そしてニュースである。

特にワイドショーは、子どもの頃から有名芸能人の不倫騒動や離婚など、なんでそんな他人様のどうでもいいことを放送するのか、常々疑問に思っていた。

坂本弁護士一家殺害事件(TBSが取材元をオウム真理教に伝達したことによって殺人事件に結びついたと言われる)以降、ワイドショーの番組は縮小傾向にあったが、最近のニュース番組はワイドショー的な要素が組み込まれ、バラエティ職が強まるようになっている。以降、私はテレビで情報番組を見るをやめ、子どもが泣いたときに大活躍のEテレと的中せずに泣きを見ることが多い競馬中継ぐらいしか見ないようになった。

今では、お笑い芸人やアイドルグループがキャスターとして名を連ねる時代。コメンテーターも番組の作りに迎合(げいごう)したことしか言わない、そこに出演する芸能人はまるでテレビを盛り上げることだけが役回りの局のサラリーマンのよう。ときにはまるでどこかのおばちゃんの井戸端会議のように聞こえることもある(こういうとおばちゃんのほうに失礼かもしれないが)。

テレビは間違いなく日々ネタ切れ状態である。日々美味しいネタを探し続けているので必死なのである。

テレビ番組「スッキリ」への疑問

そんな中でも、一部の番組では今回の報道に関して批判的なコメントを発する芸能人も多々現れた。

例えば「大津市の事故に加藤浩次「保育園の過失は全くない」 ネットで「よく言ってくれた」という声相次ぐという記事があった。

でも、正直、この発言そのものが褒められるがとても疑問だ。なぜなら、オンエアされている番組だって失礼な記者のネタで構成されている局の一部であるからだ。

もし、本当に公共の電波を使ってメインパーソナリティが責任ある発言をしたとすれば、その放送局は責任をもって行き過ぎた取材方法を禁止するべきである。でもこうしたことはこれまでもなかったし、今後もないだろう。こう思うと、番組内における出演者全員の発言そのものは、場当たり的で信頼のおけないしらけた発言としか聞き取ることができないのだ。

最終的なマスコミの目的は?

つまるところ、コメンテータの意見と稚拙な取材方法という相対する矛盾を平気で流すマスコミの様子を見ると、マスコミの目的は、記者の稚拙な取材とかこの稚拙な取材を批判したりとか、そういうことはどうでもよくて、この事件が世間の注目を浴びて話題が広がること、視聴者に対して怒りや悲しみの感情を植え付けさせることが目的だったのではないだろうかと思い始めるようになった。

そして、事故発生からマスコミ報道に至るまで、Twitterやネットの声はすべてマスコミたちの思うツボだったのではないか。そう、私達視聴者に関心の火をつけた時点でマスコミに洗脳され、遊ばれていたのである。

私たちが真にできること

長々と書いてしまったが、私が最も言いたいのは、Twitterやネットで匿名情報として意見を発出しても、今回のような取材行為の減少につながらないということだ。

それよりも効果的なのは、テレビなどのマスコミから距離を置くことである。まずは、テレビを見ない、雑誌を買わない、ということから始めるのが容易である。

また、日々ネタ探しを続けるマスコミには、事件の瞬間をスマホで録画した画像の提供や街頭インタビューを拒否するといったことが挙げられる。

いずれにしても、情報化時代の昨今、私達はテレビやネットから多くの情報を浴びて日々生活しなければいけない環境に身を置いている。

そんな中でも、より確からしい情報を選別する能力というものがさらに大事な時代が訪れてくるに違いない。

最後に、亡くなった園児二人のご冥福をお祈りするとともに、保育園に預けている一保護者として、全国の保育士の皆さんエールを送りたい。

 

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